七月一日 美術室の話

 西陽が射す放課後の美術室。部員が二人しかいない活動。顧問の教員もおらず、外の音もよく聞こえず、まるでこの世界中には、僕と部長の二人しか存在していないかのようだ。

 今のこの状態が始まってからどれくらいの時間が経ったのだろう。本日の活動内容はお互いの顔のデッサン。絵画にも造形にも明るくない新入部員の僕に合わせたメニューだ。教室内に並んでいた机のいくつかを端に避け、僕と部長は一台のイーゼルを挟み、向かい合って座っていた。

 先にお手本として部長が描くことになったので、僕は現在、モデルだ。自分の身じろぎの一つ一つも注視されていると思うと、呼吸をすることすら緊張してしまう。「楽にしていていい」とは言われたけれど、彼の視線には、僕を空間に縫い付けて標本にしてしまうような、不思議な力があった。

 しきりに動く眼球、興奮しているのか開いた瞳孔。部長の目が、僕の輪郭をなぞっていく。鼻、頬、顎、それから首。どこを見ているのか、なんてことは言われない。しかし、それは確かにわかった。そこが彼の指先で撫でられているかのように、一瞬だけ熱を持ち、それが次の場所に移るからだ。

 彼に描かれるものは皆、同じような感覚を持つのだろうか。それが彼の絵の精密さの由来ならば、目の動きを追っていれば、真似ることができるのだろうか。

 最初こそ、見られることには恥ずかしさを覚えていたが、時間が経つにつれ慣れてしまった。それでも残っていた緊張すら、「僕を見ている部長を見る」ということをし始めたら、すっかり忘れてしまった。

 今、部長は僕の瞳を描いているようだ。二重の線、粘膜部分に睫毛。見られた場所を、同じように凝視め返す。視線がかち合っているようで合っていない。集中している彼は、見られていることに気がついているのかな。数分前から、動きがぎこちなく目が泳ぐようになった。僕が影響しているのだとすれば、なんだか気分がいい。 

0コメント

  • 1000 / 1000